JYMAの歩み

JYMAの歩み

特定非営利活動法人JYMA日本青年遺骨収集団は昭和42(1967)年6月、「学生慰霊団」として発足いたしました。下記の3つの活動目標を掲げ、戦争の傷跡を今も残す戦地跡へ趣き、戦争というものを肌で体験し、真の友好を生むと同時に現在の日本を知ろうとする有志学生によって結成されました。

発足時の活動目標
1.日本軍玉砕地における慰霊及び慰霊碑建立。
2.現地における政治・経済・地理・風俗などの実地調査。
3.日本文化の紹介、及び住民との親善。

戦場跡の現実と決意

学生のアルバイト収入をもとに第1次、2次と派遣活動を行うなかで、日本軍の玉砕地にはいまなお”草むす屍”同然に数多くの御遺骨が放置されている悲惨な現状を目の当たりにし、遺骨収集を行なうことが急務であり、かつ戦後生まれであっても国民としての義務であると考え、昭和45(1970)年6月「学生遺骨収集団」と改名、遺骨収集を主たる活動目標に変更しました。

その後第3次、第4次と派遣活動を行い、第3次派遣団は、約2,000柱の遺骨収集を行なったが、第4次派遣団は、現地の政状不安や遺骨の国外持出し禁止などで、遺骨のあることはわかっていながら収集作業は許されないという事態が起こります。
これからも遺骨収集を行っていくには厚生省との“官民一体”の協力体制を整えることが重要であると考え、関係構築のため努力していくことを方針としました。

また団員を学生だけに限ることなく、広く一般の若い人にも呼びかけることとし、昭和46(1971)年5月1日に名称を「学生遺骨収集団」から「日本青年遺骨収集団」へと改称いたしました。

昭和46(1971)年11月に派遣活動を行った、第6次派遣団は、現地で厚生省との初の“官民一体”の民間遺骨収集団となり、3,580柱の御遺骨を収集し、昭和47(1972)年3月には民間の遺骨収集関係団体を一本化した組織である「戦没者遺骨収集促進団体協議会」の加盟団体となりました。
続く第7次派遣団は前年に続く官民一体の遺骨収集団となり、9,099柱の御遺骨を収集しました。また、昭和47(1972)年11月より行なわれたルバング島小野田少尉捜索には、厚生省の依頼を受け、3名の当団員が参加しました。

バブル期の衰退と復活

しかしその後、年間4~5回実施される戦没者遺骨収集政府派遣団に参加協力しておりましたが、昭和の終焉とともに、学生運営のため資金調達能力に欠けるという弱点が顕著になり、活動の困窮、熱意や意志のある有為の人材を確保できなくなり士気が低下した等の事由が相俟って団員が減少し、団員が運営資金捻出の為のアルバイトと学業との両立に苦慮するようになってしまい、ついには派遣費用の参加団体負担分の補填ができず派遣への参加を見送らざるを得ない状態に陥ってしまいます。
加えてバブル経済の影響により、新宿近辺に構えていた当法人事務所の家賃もほんの数年の期間でほぼ2倍近くに高騰したため、事務所の維持が困難となり、当時の学生代表者の下宿先を連絡先として活動することとなります。
そして平成元(1989)年度の派遣活動を最後に代表者である学生が後継者を指名せぬまま卒業、転居し、その後、代表者不在のため、連絡のとれない自然消滅的な休団状態に陥ることになります。
そういった当法人の現状とは背反するように、遺骨収集事業はかつての旧激戦地ばかりではなく、東西冷戦構造の崩壊による社会情勢の激変により、当法人が休団する以前には外交的事由で入域出来ず、長く懸案であった旧・ソ連をはじめとする所謂「東側諸国」でも精力的に政府派遣が実施されるようになります。

しかしながら、このような時代の変遷に際し、かつて旧戦域の隅々まで活動していた当団の姿なく、往時を知る関係者一同は日本青年遺骨収集団が自然消滅的な休団状態になっていることを聞き及び、心を傷め、青年層の参加協力を復活させなければならないと痛感致し、再開に向け、多くの篤志家・優良企業の皆様のご支援を仰ぎ、青年層の派遣を再開するため、「戦没者遺骨収集促進団体協議会」関係団体及び厚生省に了承を得て、新たに現役大学生に呼びかけ派遣隊を結成して甚だ急造の感はあるものの、6年ぶりに日本青年遺骨収集団としての政府派遣団を再結成いたしました。

再開後最初に行った第102次派遣は、平成6(1994)年度の最後の政府派遣であり、6年間のブランクがあった当団が、協力団体として復活出来るか否かが試されていましたが、OB団員による指導・教育や隊員一同若い力で協力し、派遣団より推奨を受け、平成7(1995)年度派遣より国庫補助金給付団体として復活することができました。
平成7(1995)年度第103次派遣は、当団が初めてシベリア抑留中死亡者遺骨収集派遣に参加した派遣であり、創団以来、未知の派遣地域となるため、以後の派遣隊員指導の情報収集、作業手順の確認のためOB団員が休職し、参加いたしました。この後は南方諸戦域における戦没者遺骨収集が年を追う毎に少なくなっているのに反し、徐々に北方中心へとその活動のスタンスを移行させていきます。また沖縄県遺族連合会が主催する民間主催事業への参加やペリリュー島への自主派遣など政府派遣以外の事業にも活動の幅を広げていきました。

NPO法人化とさまざまな支援活動

私たちはご英霊の慰霊顕彰事業を時代に継承していくことを、広く内外に宣明すると共に、従来の、若者の熱意を根幹に活動してきた任意団体から、戦略的事務運営組織への体質改善を図るために、NPO法人へ改組することを決め平成14(2002)年9月30日、東京都知事より特定非営利活動法人ジェイワイエムエイとして認証を受け、10月16日をもって設立登記を完了いたしました。

当法人では遺骨収容事業以外にも国際ボランティア事業として北マリアナ連邦にて発足以来培ってきた南洋群島地域での経験や知己を通して、現地での慰霊、歴史体験、環境保護活動を経験するとともに現地の青少年と交流をする研修旅行事業を企画し、高等学校の教員の皆様と現地視察等を、フィリピンでは、ルソン島・ミンダナオ島を中心に貧困により学業を修めることの困難な学生に対し、学費支援ならびに教育支援活動を企画し、現地において活動を行いました。

平成21(2009)年度にはNPO法改正により、日本青年遺骨収集団と表記できるようになり、名称を「特定非営利活動法人JYMA日本青年遺骨収集団」へと改名しました。

平成22(2010)年度からは昨今の現代史教育に不足していると考えております、戦時下の日本についてを取り扱いました戦史検定事業を開始いたしました。
第1回目の戦史検定は平成22(2010)年11月21日に上智大学にて開催し、20代から40代を中心に、最年少12歳、最年長86歳という幅広い年齢層から総勢292名のお申し込みをいただきました。翌年11月には日本青年館にて第2回戦史検定を開催し、受検者数は第1回を上回る358名に上りました。

収益金は特別寄付金とあわせ、福島県内の慰霊碑修繕費として、福島県遺族会に寄付いたしました。
これからも史実の継承と在外慰霊碑の保全を目標に事業を継続してまいります。

平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災の際には、NPO法人STEOの職業調理師派遣支援ならびに同国際ボランティア協会(IVUSA)のアテンドで、3度に亘る被災地支援派遣を実施し、宮城県では石巻市と気仙沼市、岩手県では釜石市と下閉伊郡山田町で炊き出し支援などを行い、復興に向けての支援活動をしました。

その後すぐにNPO法人空援隊の方々と共同で北マリアナ諸島サイパン島の集団埋葬地調査の自主派遣を2度に亘り実施し、島北西に位置するタナパグビーチにて集団埋葬の情報を確かなものにいたしました。
同年8月には予てより準備を重ねてきたガダルカナル島の丸山道における自主遺骨収容派遣を、全国ソロモン会及び一般参加の社会人の方々と共同で実施しました。
災害派遣、サイパン島調査派遣、ガダルカナル島丸山道派遣に通じて言えることは、他団体との自主的な協同活動であるという点であり、これらの活動から、自ら情報をつかみ取る力や、自ら実行し現状を変えていく姿勢を学びました。

JYMAのこれから

平成24(2012)年度の派遣の大半を占めたのが硫黄島派遣で、調査・通常・特別を含め、全20回の派遣が実施されました。また、海外派遣では昨年度の調査が実を結び、サイパン島派遣が応急派遣を含め4回実施されました。
8月には政府応急派遣としてガダルカナル島派遣に参加し、現地にて自主派遣隊と共に収容活動を行いました。同年11月には第3回戦史検定を実施し、収益金は3月に行われたパラオ慰霊碑清掃に使用され、当法人から1名が参加しました。

平成25(2013)年度には新たな取り組みとして、アメリカ公文書館に4回に亘り隊員を派遣し、残存遺骨情報が減少する昨今において、重要な資料となり得ます米軍側の公式資料を収集してまいりました。

平成26(2014)年9月には全国ソロモン会との共同活動として4回目を迎えた第368次派遣にて、戦後初の事例として海上自衛隊練習艦隊による御遺骨の本邦ご帰還が実現いたしました。

海上自衛隊練習艦隊の遠洋航海の際にガダルカナル島ホニアラ港が寄港地となり、練習艦「かしま」の士官室に御遺骨をご安置の上、祖国日本へとお帰しさせていただきました。
実現に際しご尽力頂いた全ての方々に、心からの謝辞を申し上げます。

平成27(2015)年度の沖縄自主派遣では戦後70年という節目と相俟って、NHK、テレビ静岡(フジテレビ系列)、BS-TBSのテレビ局3社が同行し、当法人の活動を取材しました。このような形でメディアに取り上げられるのは、当法人始まって以来初めてのことであります。

このように特定非営利活動法人JYMA日本青年遺骨収集団は、戦没者遺骨収容や慰霊顕彰事業を活動の基軸に、かつての地域における民生向上や飢渇する地球資源の横軸に、これからも過去と実績と伝統に負けない活動を展開してまいります。

団体沿革

発足から現在までの軌跡
「発足の志」を変わらず持ち続ける

昭和42(1967)年6月 学生慰霊団として発足
昭和45(1970)年6月 学生遺骨収集団へ団体名変更
昭和46(1971)年5月 日本青年遺骨収集団へ団体名変更
昭和47(1972)年3月 戦没者遺骨収集促進団体協議会へ加盟
平成14(2002)年10月 特定非営利活動法人ジェイワイエムエイとしてNPO法人化
平成21(2009)年 特定非営利活動法人JYMA日本青年遺骨収集団へ団体名変更
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