政府派遣

政府派遣⑧『マリアナ諸島テニアン島』

昭和19(1944)年7月24日、米軍はテニアン島に上陸を開始しました。テニアン島には、第一次大戦以降の南洋群島政策により多くの日本人移民が移住し、沖縄線同様に彼らの多くが戦火に巻き込まれました。松本歩兵50連隊や海軍56警備隊を主力とする日本軍は現地の日本人移民の民間人義勇隊を編成しましたが、米軍の前進により8月3日の夜明けに組織的戦闘が集結する程の短い戦いでした。戦闘後テニアン島はB-29の基地として整備され、日本本土の爆撃や広島・長崎への原爆投下に利用されることになりました。
なお、テニアン島は平成31(2019)年3月の現地調査派遣にて、当法人が絶大な信頼を寄せている楢崎修一郎先生が無念にも殉職された地域でもあります。
(これまで当法人が送還に携わったご遺骨の柱数:37柱)

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