政府派遣

政府派遣⑪『トラック諸島』

昭和14(1939)年以降、環礁によって穏やかな内海を確保できることによって生まれる泊地能力の高さから海軍基地建設が本格化しました。連合艦隊の拠点としての機能を保ちました。
昭和19(1944)年、米軍機によるトラック島空襲により実質的な基地能力は失われました。終戦までは、補給路の確保が困難となり日本軍は自給自足の生活を強いられることになりました。
(これまで当法人が送還に携わったご遺骨の柱数:555柱)

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